たとえばお母さんからお迎えに来てもらって、抱きしめてもらったのが嬉しかった人は、好きな人にも迎えに来てもらいたい。だってそれが愛の形だと思うから。

たとえばお母さんと待ち合わせして、会えた時の笑顔が嬉しかった人は、好きな人と待ち合わせしたい。だってそれが愛の形だと思うから。

たとえば出張先のお母さんから電話かかってくるのが嬉しかった人は、距離感が好き、電話が好き。だってそれが愛の形だと思うから

人間として生まれて、その体が持つ五感や現象の形は年齢とともに、歴史とともに、毎日毎日変わっていく。
その手が欠損するかもしれない、その視力は落ちるかもしれない、鼻も、耳も、声も、味覚も、だけど、そこで誰かが あなたに伝えたいと思うこと、あなたが誰かに伝えたいと思うこと、あなたが感じたいと思うことはたぶん一つだけで、それは愛で、喜んでもらいたいってことだと思うんだ。

持ってる道具はひとりひとり違う。ヘンデルも、バッハも、モーツァルトも、ベートーヴェンブラームスも、マーラーも、ラヴェルも、いじわるもやさしさもドSもドMもフランス書院岩波文庫も、形が形であることを知ってれば、なんだって愛だ。人はそこに愛あることを知って喜びたいんだ。五感を敏感に使えなくても、その向こうにあるものを精いっぱい探したい。意欲の源泉はいつも愛情だもの。りんごを食べさせたのは、もしかしたら神様なんじゃないかな。