今日、わたしは京都にいました。

せっかく京都だからお参り行こう、
雨まじりの雪だしどこ行こう、
そうだ生徒さんが話してた貴船神社に行こうと出発。

ゆーても京都駅から行ってお参りして帰ってくるのに4時間、
ついたら鞍馬の隣、修験者の山ですわ。

いわゆるパワースポットってやつでね、
いろんな思いを抱えたお嬢さんたちがいっぱい。
着いたら雨どころか豪雪だけど、それはそれは美しい景色で
ああここは冬に行くところだと納得。

IMG_7716

貴船神社は本宮と奥の院、結社の順でお参りしましょうと
ネットに書いてあったのでその通りに行ってみる。

さて本編。
願いを、思いを叶えるにはどうすればいいか。

あのね、
パワースポットってさ、
何かパワーを得るところのような気がするじゃないですか。

あれどうも違ったな。
パワースポットっていうのは、
なにかが与えられる、なにかを得られる場所なのではなくて、
なにかを削り、なにかを減らし、
ただそこになにもない、という場所。

ものすごく簡単に雑に言うと、
パワースポットっていうのは
地球上で人がいないところですな。

人はとてもカラフルで雑多で
思いにあふれ情緒的で
悩み苦しみ喜びにまみれてる。
そのカラフルな世界にいてこそ
不満が生まれ理不尽を感じ、
どうにか叶えたい思いや願いが生まれるわけ。

みんなカラフルな世界で生まれた願いを
叶えてほしいと思って
パワースポットにやってくる。
ご利益っていうのかな、
なにか得られるものがあると思ってね。

でも、どうもパワースポットって人がいない場所のこと。
モノクロで数学的で冷たくて合理的で
ただ真実がありただそれだけ。
情緒もなく思いもなく悩みもなく、
それが生まれる土台すらない。

人はパワースポットに来ることによって
何かを得られるわけではなくて、
むしろ反対に「無」に近くなる。

思いも情緒も感情も願いも
苦しみも辛さもそこに思いが至ることも忘れてしまって、

一応結文とか絵馬とかおみくじとかおいてはあるけれども
そしてそれは一応書くけれども、
てくてく歩いて本殿にお参りし、
更に奥の院に到着して手を合わせてしまえば、

これをお願いしようと思っていたことも
忘れてしまっていて、
自分の中に何もなく、
ただぼんやりとなんだったっけな、と。

その状態で初めて人間は神様と呼ばれる
「何もない」とどうにかつながり、
下界で用意したはずのお願い事を
お願いしたのかどうかも分からなくなりながら、

ぼんやりした状態でまた歩いて戻り、
少し人里が見えてきたころにようやく
自分がしようとしていたお願い事を
そうだったそうだったとハッキリ思い出すのである。

IMG_7720

結局、頭の中にお願い事がちゃんとあるとき、
そしてお願い事として自覚してる状態のお願い事は
なんだかんだゆーても「お願い事」じゃないのかもしれない。

IMG_7721

上の写真は貴船神社奥の院。
本殿にお参りして、さらに山道を登り奥の院にお参りし、
そして真ん中の結社に戻る。

いわゆるえんむすびの神様がいらっしゃるのは
真ん中の結社だから、みんなここがお目当てでいくんだけど、
なぜ先に奥の院に行かされるのかというと、

上でお話ししたような、
「なにもない」を
まず体験しなくちゃいけないのだろう。

その「なにもない」になれば、
たぶん人里離れなくても、
パワースポットに行かなくても
どんな街中でも神様に願いは通じる。

神様は「なにもない」だから
人間のカラフルな世界の中で
神様と通信するためには
パワースポットに来た時と同じように
モノクロになればいいのだ。

だけど私たちにはそんなことは困難だから
願いをかなえるためには
パワースポットといわれるものに行って
半ば強引にそのカラフルさや情緒や物思いをなくさせられて
「なにもない」に少しでも近づかなくちゃならない。

奥の院まで行って手を合わせ「なにもない」に近づいたら
用意したお願い事は、
下界で思っていたよりももっと優しい本当の形で
ふんわりと頭に浮かんでくることだろう。

無の世界には果てしない強制力があって、
本殿に入る前に書いた結文をそこで思い出すと
意味が分からないし、
こんなことを書いてしまって本当に情けない、
なんてことだ、
と破り捨てたくなるほどである。

わたしがお参りしたときには
まるで面接のようで、
ようやく社長面接にこぎつけたら
練習してきた「御社を志望した動機」なんてのも吹っ飛んで、
「ここまで来ることができて光栄です、何でもやります何でも働きます」と言ってしまうほどだった。

つまりだ。

願いを叶えたいと思ったら、
その願いをずっと心の中に持って悶々とするよりも、
さっさとパワースポットでも何でもいいので
人のいないところに行って神様の目の前で無になってみるとよい。

神社仏閣でなくともいいのだ。
自然の中宇宙の中、そこに自分のコントロールできないものがあれば何でもよい。

無の環境に身を置いてみて
望みが頭の中から吹っ飛んでてもいいのだ。
吹っ飛んでいてもいいから
「なにもない」にまずはなる。

なにもない=神様と通信できる自分=願いが叶う自分

それを一度体感して記憶すれば、
パワースポットに行かなくても
街中でも学校でも「無」に近づくことで
願いは叶う。

というか、願いをかなえてください、ではなく
無と通信できる無の自分になっちゃったら
なんでも叶うしそっちが簡単ってことだな。

神様はどこにでもいるというけれど、
基本パワースポットに特別パワーがあるわけではなくて、
地球上は元々すべてパワースポットのようだ。

んで、人がいるとカラフルになっちゃうので
人が住めば住むほど地球の表面に色が塗られ、
モノクロの部分=パワースポットが少なくなっていく、という感じ。

だからいろんな情報で紹介されるパワースポットも
そこに行けば何かが叶うわけじゃなくて
本来は無に近くなる場所。

でも人が多くなると色が塗られちゃって
無になりにくくなるから普通の街中と同じ。
願いを叶えたかったら
できるだけ人のいない、行きにくい、
コントロールできないところで「なにもない」に近づくといいよね。

あ、ちょっと待って、これが修験ってやつで
大昔から人間が苦労してやってきたことだな笑

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